2018年09月

20180922_otto


小林銅蟲さんのコスプレ…という名の作務衣。

夕飯に宅配ピザをたのんでしまいました。おゆるしください。

数日前のふうちゃんのパパとママの
妄想マンガの原案はおっとです。

===

祖母の四十九日が近くなったころに、
ふうちゃんとふたりで家にいました。

不意に、ふうちゃんが何もない空中を見つめて
う~っとうなったり、
ふるえたりしはじめました。
ずっと1点を見たまま、
ぐるぐる歩きまわっています。

わたしは「あっ、もしかして、ばあちゃんが来てるのかな?」って
思いました。
わたしにはわかんないけど、
ふうちゃんには見えてるのかな?って。

ふうちゃんはそんなようすをみせること
それまでにいちどもなかったんです
(その後もないです)。

わたしは科学が大好きな人ですが
そういうときはそういうこともあると
思う人間でもあるので
(矛盾しているのですが
 この自分のなかの矛盾を
 35才になっても説明できません)

わたしは

「ばあちゃん、そこにいるの?
 ここが、わたしとおっとと
 このいぬのふうちゃんの家だよ。
 ここで暮らしているんだよ。
 見に来てくれてありがとうね。」

と、話しかけました。

30分くらいしてふうちゃんは
いつものようすにもどりました。

わたしはばあちゃんとは亡くなる前何年も
会っていませんでした。
それを後悔する気持ちも
ほんの少しありました。

でもそのときのことを思い出すと
心がぬくもるのです。
ばあちゃんにさいごに会えたかもとおもうと。

このあいだから出ているあたらしい薬がないとだめですね。
服用時間があいたりすると。
うつうつの沼へ一瞬でいってしまいます。
とにかく疲れるのです。
疲労感が半端ではなく、
横になっている状態から
立ち上がってあるくだけで
からだがはてしなくおもい。

もっとも悲しいのが、
大好きな本が読めなくなってしまいました。
(読んでも読んでも何が書いてあるのかわからない)

気晴らしによくみていたテレビも
きいていたラジオも
うるさくてうるさくて
聴けなく(観られなく)なってしまいました。

何もかもがめんどうくさく
何もかもが大儀です。
生活をととのえることとか
ものすごくどうでもよい。興味が持てない。
あんなに好きで楽しかったのに。

思い返せば10代のころからず~っとうつでした。
自分にとってはこれがふつうだったので
気づいていなかったのですね。

あのころ、いったいどうやって
すごしていたのだろう。
どうやって生き延びていたというのか。
横になって天井を見る以外に。

ひとりごともかなり増えてきています。

ふうちゃんにはほんとうに悪いのだけど
ふうちゃんの散歩に行くのが、かなりつらい。

という感じです。

この状態、そんなに長く続くと思っていないのですが(希望的な推測)
万一長く続いたときのことも
考えておかないとですね。←おとなになったわあ。

ひとのことも考えず
ありのままを書いてしまってすみませんでした。
こういうところが私のだめなところなんだ。

すみません、お知らせを一時載せていたのですが、
いちど削除します~。。

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