2018年08月
冷蔵庫メモ
『きのこの里』その他
この絵、「きのこの里」というタイトルにしました。
最初、「きのこの山」にしようかと思ったんですが、
そのまんまはまずいか…と思い直し、
たけのこの里と混ぜました
(それはいいのか…?)
(どなたかに怒られたら変えます、、)。
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金曜ロードショーの、トトロを見ています。
昔とぐっとくるポイントがちがう。
なんだか、あちこちで涙が出ます。
どちらかいうと、子どもたちよりも、
おとうさんおかあさんに目がゆきます。
わたしがとしをとったからでしょうか。
このおとうさんおかあさんの、
おだやかさ、やさしさが、
やたらと胸にしみる。
子どものころは、メイがまいごになって、
泣いて「おねえちゃーん!!」って
叫んでるシーンが、共感のピークでした。
「あった」ことはおぼえていても、
本質をとりもどすことはできない、
そんなことがたくさんあって、
少し寂しいです。
ある時期までは、そういうことが、
少しどころか、ものすごく寂しいと思って、
その流れに抵抗していました。
でも、だんだんその、抵抗の気持ちもうすれているし、
忘れたことを忘れるようなことも、ふえている気がします。
いずれ、少し寂しいこの気持ちも、
どこかへいってしまうのだろうか。
とにかく、だんだん鈍くなっていると思います。
鈍くなっているので、
鈍くなっていることも許せる。
潔癖で繊細だった若いころなら、
許せなかったはず。
そうそう、
こだわりがどんどんなくなっているんです。
たとえば、うんと若いころ、音楽がすごく好きで、
自由に好きなように聞いているつもりだったけれど、
ジャンルだのカテゴリだのを
やたら重要視して、選別して聞いていたと、
今ふりかえるとわかる。
今のほうがずっと自由に音楽を聴いているな~と思います。
映画なんかも、こだわらずになんでも見るようにしたら、
今すごくたのしいです。
むかし、自意識が過剰でしんどかったのも、
自分に執着して、
ひとにどうみられるかに
こだわっていたから。
としをとるごとに
頭のなかは身軽になっていって、
それは私にはとてもうれしいことです。
小さなころから
ずっとがんじがらめだったけれど、
これからのわたしの頭のなかは、
もっともっと自由になるいっぽうなのでは。
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って、トトロを見ていたはずなのに、
思考が宇宙に行ってしまった。
続きをみます…
この、おとなりのおばあちゃん、
ずいぶん前に亡くなった
曾祖母が思い出されて、キュンとする。